長良川カントリー倶楽部の歴史



      昭和28年、 長良川河畔、岐阜市長良早田の岐阜県営グラウンド(現メモリアルセンター)内に、少数のゴルフ愛好者によって
      岐阜県下で初めてのゴルフコース(9ホール)が開場した。長良川カントリー倶楽部の前身、岐阜県ゴルフ場の第1号である。


      戦後間もないこの当時の岐阜県のゴルフ人口は僅かで、名古屋、京都、大阪、遠くは東京へ出かけた時代である。
      昭和35年になると、岐阜カンツリー倶楽部が開場した。
      これに刺激をされ本格的なコースを目指して岐阜の市街地に一番近い台地を求めて岐阜市長良雄総北裏山の7万坪を確保する。
      (第20回国民体育大会が岐阜県営グラウンドで開催されることにより移転を余儀なくされたことも要因の一つ)
      清流長良川を眼下に岐阜城の金華山を南に眺め、まさに岐阜の中庭コースにふさわしい地の利だったと年史は振り返っている。

      長良川カントリー倶楽部開場計画の中心は渡辺甚吉。コース設計者は日本の第一人者である上田 治先生に依頼した。
      昭和37年3月23日午前10時30分、岐阜市神田町の日の丸会館において創立総会を開催。
      発起人は次の方々であった。
      渡辺甚吉、松尾吾策、川島定市、桑原善吉、小寺勝昌、土屋義雄、田口利八、岩田治喜、松岡 茂 以上9名

      昭和38年5月3日、盛大に開場の式典をあげた。開場式には多くの政財界の名士、ゴルフ界からは連盟倶楽部の理事長、支配人
      など多数が御出席された。雲一つない晴天のゴルフ日和に恵まれ、午前11時、55名が参加して開場記念の招待競技が行われ、
      いよいよゴルフ界の一員としてスタートした。(開場当時は9ホール)



      その後、会員の強い要望により昭和48年には幾多の困難を克服し、上田 治先生の設計で9ホール増設工事に着手。
      念願の18ホールを完成。



      昭和51年9月の集中豪雨により甚大な被害を被るが、わずか5ヶ月で復旧工事を完了。



      昭和57年8月19日 高松宮、同妃殿下が当倶楽部へ御来場
      当倶楽部役員と終始にこやかにプレーされ、一日を楽しまれました。